第3代理事長

宮本 雄治
(平成5年9月26日~平成26年3月31日)


ご挨拶 (平成21年3月寄稿)

 1993年秋、前理事長二宮睦彦氏の急逝により、ワンポイントリリーフのつもりで理事長のお役を引き受けて以来15年を経過し、早16年目となってしまいました。

 その間睦育英会は、関係の皆様方のご支援、ご協力により順調に運営されて今日に至って居ります。

 昭和52年度の第1回の事業報告書に設立者二宮芳太郎氏が、向学心に燃え乍ら、経済的理由により大学進学が困難な方々の一助にと設立の趣旨を書いて居られますが、それから30年余り社会の移り変わりと共に、人的にも、質的にも変化が見られ、また研修の環境などもたいへん変わって参りました。

 これらの節目を期に、この様な情勢にどう対応して行くかを考える時期に来ているのではないかと思います。関係される皆様のお知恵を拝借し、より充実した育英会に育つよう努力を重ねてゆく積もりです。

 例えば、現在奨学生はほとんど大学進学者が対象となって居りますが、大学院に進まれる方々、又特殊な専門課程に学ばれる方々にも新しい応援体制を計画してみてはなどと考えて居ります。

 また、別の視点からみますと、これからグローバルな世界で活躍される方々も多々出てこられると思います。必要なリーダーシップの養成等、既存の教育課程のみにこだわらない方法での人材の育成に役立つ方策など検討してはとも思って居ります。

 有名な「ローマは一日にしてならず」と云う言葉がありますが、世界の歴史を紐解くと、教育の普及、向上が20年後位に、その国、その地域の急速な興隆に連なる現象が多々見られます。郷里の為、地域の為、国の為に有能な人材が多々生まれる事を期待しています。

 現在、世界的不況の最中に日本も例外なく巻き込まれて居ります。1990年代始めに、日本で発生したバブルの崩壊と同じ現象が世界中を駆け廻って居ります。顧みますと、その原因は世界中がマネーゲームに巻き込まれて居た咎めが今日の結果をもたらせて居ります。地道に種を撒き、育てる努力を続けてこそ安定した社会が生まれるのであって、一時的繁栄は虚像に過ぎない事を改めて教えてくれます。

 資源に乏しい国が栄えるのは、汗と努力と技術革新の積み重ねがあってこそもたらされます。育英会は人材を育てると共に、努力する人に貢献する社会人を育てる会になってほしいと願う次第です。


思い出すままに (二十年を振り返って 平成27年3月寄稿)

 “兎追いしかの山・・・”の小学唱歌が生まれた大正初期、家内の父 二宮芳太郎は故郷を後にし東京に向かった。爾後六十余年紙販売一筋の仕事から第一線を退いた。

 “志を果たして何時の日にか帰らん”の心境だったと思われる。何か吉田の為に役に立ちたいとの思いが強く数多くの方々に相談して、「財団法人睦育英会」の設立に踏み切ったのが昭和50年代早々であった。

 当時の吉田町長西山氏を始め教育委員会の方々、役場の皆々様の絶大なご後援を戴き、青少年の育成に力を注いだ。

 以来今日に至る迄の40年近く育英会の社会貢献は、一般財団法人から公益財団法人への移行等数々の困難を乗り切って今日に至って居ります。

 育英会のスタートは吉田町出身の方々を対象に進んで参りましたが、今日は宇和島市全体に活動範囲は広がって居ります。

 私も当初より法人の役員に名を連ねて居りましたが、たまたま二代目理事長の二宮睦彦氏(義兄)の急逝により、取敢えず当時の町長の児玉氏からの強い要請を受け、適当な人がみつかる迄のワンポイントリリーフとして、お役を引受けて以来20年が過ぎてしまいました。

 もっと早く交替をと考えていた矢先、先述の一般財団法人から公益財団法人への移行問題が発生し5年近くの時を費やしてしまいました。私は育英会の事業は、個々人の勉学のお手伝いをする外、次代のリーダーシップをとれる各方面の人材を育成する事も大切な目的と考えて居ります。早いもので初期の育英会がお手伝いした方々も60歳近くになられた方がふえつつあります。

 当初は幅広く多くの方々の育成を考え、奨学生に長期のわたる返済をお願い申し上げましたが、現在は少人数乍も返済義務のない公益財団法人と変わって居ります。志ある方々に多くお応えしたいと思って居りますが、その為には財政規模の拡大が必要となります。今まで是非多くの方々に、社会奉仕としてご参加戴ける様お願いして参りたいと考えて居ります。そして南予の一角より多士済々の人材が輩出されていく後立ての組織となって欲しいと思って居ります。

 私事本年85歳になります。昨年より新理事長二宮 洋氏を迎え新しい体制で財団もスタートして居ります。理事長の下、公益財団法人睦育英会が創立者の志を引継ぎ永く発展される事を願って居ります。

 関係される役員、事務方皆々様のご努力に厚く御礼申し上げますと共に、遅ればせ乍ら交替のご挨拶をさせて戴きます。在任中のご協力に感謝申し上げます。

雪と夕日に染まる法華津峠(宇和島市吉田町)