第2代理事長

二宮 睦彦(故人)
(昭和61年8月24日~平成5年9月12日)


睦育英会に寄せて (昭和62年3月寄稿)

 昭和61年8月、前理事長二宮芳太郎死亡に伴い理事長に選任されました。西山様始めこの会の開設以来一方ならない御尽力頂きました皆様方の御指導を頂き微力ながら全力を尽くす積もりでおります。

 この育英会の歴史も昭和52年設立以来10年を越えました。前理事長がその設立で念願致しました通り「格調の高い、見識ある育英会として」立派に育ってきたと思います。前述のように、吉田町役場始め関係の皆様方の御努力と情熱がこの成果をもたらしたもので、それについては、亡き父芳太郎も心から幸せに思い、又感謝をしながら逝ったものと存じております。そして、なによりもこの10年間この会を通じてお知り合いになれた500名の若い方々との縁を今生の至福とし、又その方々の未来に限りない望みを抱いてあの世に旅立ちました。

 人は死に臨んで時として名言を後世に残す事があります。父の場合は特にありませんでしたけれど、つまり、その意味では極めて安らかに逝ったのですけれど、そうした名言の中で私が好きな言葉が一つあります。ドイツの生物学者コッホの最後の言葉として伝えられているもので、「もうすぐ私の時代がやってくる」という言葉であります。生前は自分の細菌の学説が世に容れられなかった彼の自信と望みを託した言葉で、日本語にしてしまうと、どうと言う事はないのですが、ドイツ語で、

 マイネ ツァイト ヴィルト ション コンメン

(Meine Zeit wirdschonKommen) と聞くと、何か明るく望みに溢れた感じが伝わってきます。こうした未来を肯定しこれからやって来る毎日を信じる事、それが若さであると私には思われます。「私の時代がやってくる」-そう信じて明るく毎日を生きておられる若い方々とこれから更に密接な御縁ができると思うと、私としては本当に楽しみです。

 ドイツといえば、この10年間の海外研修生25人中5人の方がドイツに行っておられます。アメリカと並んで最も多い派遣先です。443名が参加された「国内研修」の場合もそうですが、自分の住んでいる所を離れて遠い所、異なった国を経験すると言うのはどのような意味があるのでしょうか。違った生活や風土を経験し、新しい人たちや街並みに接する、広い世界を見聞するという意味合いは勿論大きい事でしょうが、それにもまして、自分の生まれ育った所、各々の祖国・故郷を改めて外から見直すという意味合いはそれにも増して大事な事だと私は思います。ソ連の宇宙飛行士の最初のメッセージが「地球は青かった」と言うのは余りにも有名です。

 国の内外を問わず研修旅行で、あるいは故郷を離れて勉学に勤しんでいる時に、吉田の地を思いその中に故郷の何かについて新しい発見があればそれはこの上なく貴重な事だと考えます。若くして、吉田を離れた亡父にも、特に晩年故郷についての新しい発見が数多くあったに違いないと私には思われます。「万葉集」の長歌の中で山部赤人は愛媛の地を次のように歌っています。

 「・・・島山のよろしき国とこごしかも伊予の高峰のいざにわの丘に立たして歌思い・・・」

 海山の美しい伊予の地から明日に自信のある若い人たちが今後とも次々と育っていきますように、そしてこの育英会が少しでもそれにお役に立ち続けていけますように祈りながらこの文を終わります。